【つぶやき】無理と限界

つぶやき

1ヶ月ほど前の通院時に、先生から聞かれたことです。

「無理とは、何かわかりますか?」

私は少し考えて、こう答えました。

「限界のことですか?」

先生は、やっぱりなという納得したような表情を浮かべていたような気がします。

そして、

「無理と限界は違うものです。」

と教えてくれました。

そう言われて、改めて”無理”とはなにか、について考えてみて、

確かに「無理」と「限界」がそれぞれ独立した言葉として存在してる以上、そのふたつが同じ意味を持つはずがないか、と気がつきました。

「無理とは、限界よりもずっと手前にあるものです。」

私はそれまで、無意識のうちに「できないこと=無理=限界」というふうに考えてしまっていました。

だから、私にとっての「無理」は、「限界」に達した時に初めて自覚されるものだったというわけです。

まして、その「限界」にすら気がつくことがないまま、とっくにそのラインを超えてもなお、走り続けてきました。

効果的な語学勉強法が見つからない現象と似ていて、

「自分とは何か?」という問いにもがきながらも、その問いに対する自分なりの答えの見つけ方を理解していなかったのです。

病院に通い始めて、先生という立場の人と話すようになって、ようやく自分自身を俯瞰して見ることができるようになったように思います。

薬と先生のありがたい言葉たちのおかげで、昨年の今頃と比べると、良くも悪くも格段に人間らしい生活をしています。

とはいえ、以前の投稿にも書いているように、現在でも感情の波は激しく、ほんの些細なきっかけで、すぐに人生に嫌気がさしてしまうような日々に変わりはありません。

7月頃から、ストレスによってまた身体症状が出始めてきて、その状態が続いています。

そこで今回は、7月から8月現在にかけての、とある3日分の日記を書き留めていきます。

7/10

病院に行った。

何も言えなかった。

前回行った時、いろんなことが重なって、それを思い出して泣きそうになった

けど堪えて、でも帰ってからもどうしても苦しくて死にたいと思った。

月曜日の出勤前にも泣いて、でも休む連絡を入れるのも怖くて、結局出勤したらだいぶ気分がおさまった。

本当は言いたかった。

死のうと思いました、でも死に方がわからなくて死ねませんでした、って。

いつも通り、「悪くないです。」とだけ言って、いつも通りの薬をもらった。

この2週間で何回も苦しくなって、呼吸が浅くなって、ドキドキして、力が入らなくなって、という状態になっていたのに、いざとなると頓服薬の存在を忘れてしまう。

せっかくもらっているのに使わないで、ただもがき苦しんでいる。

救いようのないばかだなあって思う。

ゼミの子にインターンのことを聞いた。

正直自分も始めてのことだったから、「全然わからないからさー」って言ったら、その子に「もういい歳なのにね」って言われちゃった。

(これまでのつぶやきを読んでいる方は大体察しているかもしれないですが、づっきーは計2年間休学していたので、2個下の子たちとゼミを受けています。)

ああ、常識がないのばれちゃったなあって。

「私も就活の経験ないからさ、同じ学年だから許して」って笑って誤魔化したけど、

誰も口にはしないけど、年齢差期にされているんだろうなって気付かされた。

気使われているんだって。

この子たちの前では、私はなんでも知っている年上の存在でなきゃいけないんだって。

教室に入るのが怖い。

やっぱりゼミには所属するべきではなかったのかもしれない。

今のところでバイトし始めてから半年ちょっと。

5人がいなくなった。

過半数がクビになった。

こういうもんなのかな。

パートさんも人の選り好みが激しい人もいるし、すぐ怒るし、うるさいし、面倒臭いし。

これでも母親なんだもんなって。

やっぱり母親にはなりたくないなって思う日々。

なんていう、ミジンコとも比にならないくらいの些細なことでいちいち傷ついて落ち込んできた。

もう傷つきたくない。

一生傷つかないで生きていくことはあり得る?

あり得ないのなら、私はもう生きていたくない。

傷つく前に死んでしまいたい。

死ぬことは自分にとっての1番の逃げ道。

もう自分をこれまでの苦しみから解放してあげたい。

あなたはあなたの普通を信じていい。

あなたは3歳の差を埋められなくても、自分のペースで成長していい。

声を押し殺して泣かなくていい。

なんで泣いているのって言われるのを恐れなくていい。

わからないことがあるって当たり前のことなんだよ。

言いたい時に、言いたい相手に、言いたいことだけ言えばいい。

自分が自分を受け入れられていれば、それでいい。

あなたはあなた。

そのままのあなたで美しい。そのままのあなたが1番美しい。

生は死までの過程。

なんていう、生温かい言葉たちをかけてあげたい。

8/2

最近、心が落ち着かない。

ずっとソワソワしている感じ。

常に緊張している。

フラッシュバックが止まらない。

息をするのもしんどい。

苦しい。

外に出たいけど、出たくない。

また人が怖くなってきた。

誰もみたくない、みられたくない。

でも、掃除はするし、ご飯は作るし、メイクもする。

生活は十分過ぎるほどに成立している。

それが余計にストレス。

逃げたいけど、これ以上生きている間に逃げることは許される?

いやだ。

ずっと前から嫌だった。

この感情と、こんな自分と、これまでの過去と、一生付き合っていかなきゃならないのか。

わからない。

このどうしようもない感じ。

また力が入らなくなっていく。

誰にも言えないし、言いたくもない。

でもきっと言いたい。

なんか寂しいけど、誰かといるのも嫌。

耐えられない。

こんな自分が変わる日は来る?

8/21

久しぶりに泣いた。

外からのストレスに耐えきれなかった。

耐えきれない自分の存在に気がついてから、耐性が圧倒的になくなった。

バイト先のパートさんにずっと試されているようで、ずっと雰囲気がピリピリしていて、ギリギリ耳に入ってくる陰口。

自分ができていないこともあるってわかっているからこそ、

認められているのか、切り時だと思われているのか分からない。

承認不安の自分にとってはかなりしんどい空気感。

病院が終わってエレベーターに乗ると、涙がブワっと込み上げてくる。

ああ、今日も何も言えなかったって。

でも、自分の置かれている立場とか、心境とか、そういうのを話してしまうと、

「逃げてもいいと」って言葉を期待している自分が前面に出てしまう。

だから、どうしても言えない。

先生であっても。

誰かに言いたいけど、誰にも言えないし、言いたくない。

病院帰り、少し買い物をしていこうと思っていたけれど、

徐々にふらつき始めてきていることに気がついて、なんとか家に帰った。

家に着いた瞬間、涙が溢れてきた。

結構、限界なんだな、って思った。

全部辞めたい。

バイトもやめたい。我慢もやめたい。偽るのもやめたい。言いたい。病院もやめたい。

先生、私はもうかなり回復しています。

でも、「回復」が元の状態に戻ることを意味しているのであれば、私は回復したくありません。

わけもわからず、ただひたすらに沈んでいる方が、よっぽどマシです。

回復し終える前に人生もやめたい。

毎日、そんなことばかり考えながら、生きています。

スーツを着た70代くらいのおじいさんを見て絶望した。

この人の年齢まで生きるとしたら、あと何十年生きなければならないんだろうか。

あと何万回嫌な思いをして、何千回死にたいと思って、何百回死のうとするんだろうって。

この1ヶ月間ほど、気分的にはかなりハイな状態で、バイトも淡々とこなしていたし、インターンとか就活系も予定が決まっていったし、ゼミのグループワークも順調だった。

でも同時に、身体的に崩れていっているのも感じていた。

よくお腹を下すし、逃げる夢とか虫に囲まれる夢とか見るようになったし、

お腹は空くけど少しの気持ち悪さがあって食欲はないし、

耳も時折膜がはったようになったり痛くなったりするし、

ところどころの記憶が完全に抜けている。

何より、息が苦しい。

吸う時も吐く時も声が出てしまって、しかもその音が今までよりも大きくて、電車とかで呼吸しにくい。

バイトを始めた頃に先生が言っていたように、

私は場に馴染めている実感があって初めて仕事に慣れることができる人間。

だから、「馴れる」が不安定な今、これまでちゃんと理解してできていたことも、最近少し忘れ始めている自覚がある。

また人に対する恐怖心も強くなっている。

誰を信用したらいいか分からない。

またあの状況に陥るのが怖い。

誰にも会いたくない。

どうすればいいんだろう。

無理と限界

長くなりましたが、少し修正は加えているものの、とある3日分の日記をここにも書いてみました。

基本的に、辛い・苦しいと感じた時に、自分の感情や心境を吐き出すための日記帳なので、

かなりどんよりした内容ではあるのですが、ここ1~2ヶ月のづっきーの精神/身体状態について紹介してみました。

実は、一昨日の出勤時に「あ、結構しんどい。限界なのかも。」と気がつきました。

急に舞い込んできた感情というふうに思っていたのですが、

日記を読み返してみると、7月くらいから徐々に心が蝕まれていって、身体症状が現れてきていたことがわかりました。

まだ、私は「無理」と「限界」の違いを識別できていないんだなって思いました。

「無理」って、自分が思っているよりも、もっと身近なラインで、

少しでも許容できないなって感じたら、そこから先が「無理」の範囲なのかもしれません。

づっきーの日記の一部を読んで、心病まれていないことを願っていますが(笑)、

何が言いたいかというと、「無理は限界よりも、もっともっと手前の感情」ということです。

どうか、づっきーのように勘違いしないようにしてほしいです。

内容とか、タイミングとか、立場とか、いろんな要素が複雑に絡まって、

「これはこの人に相談できそう」「直接言葉にして伝えるのはハードルが高いけど文字でなら言えそう」

という悩み事もあれば、

「これはどうしても誰にも言えない」

というものもあるかと思います。

もし、誰にも言えないと思っているなら、自分に相談してみるのもひとつの手かもしれません。

自分に問いかけてみると、大きな不安事の一部が解消されて、他の小さな部分を少しずつなら誰かに話せるかもしれないということに気づけるかもしれません。

づっきー自身が今まさにこの状態にいるので、それが誰かにとっての一助になるかは分かりません。

ですが、もしづっきーと似たような状況にあるなら、ひとりじゃないことを実感してほしいし、

身近にそういう人がいるなら、理解しようと気持ちになってくれるだけで大変嬉しいです。

この先の人生、どうなるかは誰にも分かりませんが、少しでも明るいものになればいいなと、今は思っています。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました:)

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