【つぶやき】枠について

つぶやき

こんにちは!づっきーです。

今回は、「枠」について語っていこうと思います。

「枠」というと、物理的な枠や概念的な枠など、いろいろとありますが、

今回は、この世に産まれて以来、「枠」にはまりきれたことがないづっきーの人生について少し(と言いつつ今回も長くなりそうですが)共有していきます。

それでは、今日もどうぞよろしくお願いします:))

概念的な「枠」

づっきーは、今まで何かしらの「枠」にはまれたことがほとんどありません。

つまり、用意された道を素直に進むことができない、とでも言えるでしょうか。

自分は男なのか女なのか、自分は自分のことが好きでいるのか嫌いなのか興味ないのか、人生に幸福を感じているか絶望を感じているか、全部よく分かりません。

これまでのづっきーの人生は、まさしく”波瀾万丈”と言い表せます。

きっと、だからこそ、誰よりも人生に安定を求めているのだ、と自分自身だからわかります。

なぜなら づっきーと安定 は相容れない事象であったから。

人間って本当に煩悩(ぼんのう)なので、自分が持っていないものを見るとつい手に入れたくなってしまう生き物なのでしょう。

づっきーは、肌の色素がかなり薄いので、友人たちは皆、羨ましがってくれていたけれど、づっきーにはそれが全く理解できませんでした。

羨ましがられる一方で、座っているだけで「づっきー顔色悪いけど大丈夫?」って心配されたり、「づっきーって肌と目の色は薄いのに髪だけ真っ黒くてなんか変」という言葉も同時に受けてきたからです。

健康的で、バランスの取れた見た目になりたいとずっと懇願(こんがん)してきました。

だから、なのでしょうか。

幼少期、姉の影響もあり英語に興味を持ったおかげで、いかに自分が世界の中ではちっぽけな存在なのかに気づきました。

だからこそ、世界がどこまで広いのかを知りたいと思うようになりました。

なーんだ、現在見ているほんの数個の用意された枠にはまれないでいることを嘆(なげ)くんじゃなくて、自分だけがハマれる枠を自分で作ればいいんじゃん、ってことに気づく日を迎えるために。

日本語だけでは気づけなかった、性の多様さ。

づっきーは幼少期、ずっと男の子になりたいと思っていました。

なぜかはもちろん分かりません。

でも、母親や姉に「もっと女の子らしい服を着なさい」「づっきーはジャージばかり着ていてダサい」などと散々言われてきたことに対する反発心からだったのかもしれないですね。

づっきーは、可愛いと言われても全く嬉しくありませんでした。

格好いいと言われる方がよっぽど嬉しかったです。

運動が好きで、体育の授業の時はいつもお手本をしていました。

服も、おしゃれとか全く興味がなくて、毎日ジャージばかり着ていました。

いつでも走れる服でないと、なんだか落ち着かなかったし、何よりおしゃれをすることが恥ずかしいと感じていたのです。

でも、こんなこと言えませんでした。

当時は、性別には男と女の2種類しかないと思っていたからです。

づっきーは生物学上、”女”として産まれてきたから、たとえ男になりたくてもなれないんだって半ば諦めていました。

逆に言えば、知識がなかったおかげで当時カミングアウトせずに済んだとも言えますが。

理由はよく分かりませんが、大人は幼児の言うことに対してまともに向き合おうとしないですからね。

知識をつけた今だから思います。

幼少期のづっきーは、きっとトランスジェンダーだったのだと。

でも、現在は分かりません。

性自認がどっちなのか、どっちでもあるのか、もしくはどっちでもないのか

確かに現在でも、生物学的には”女”として存在していますが、気持ち的な性は分かりません。

だから、当てはめないことにしました。

いつの日も安定を求め続けてきたづっきーは高校在学時、性について調べ、”ノンバイナリー”が最も自分に近いと思い、半ば強引に自分はノンバイナリーなんだって枠にはまろうとしていました。

初めてちゃんと定型の枠にはまれたような気がしました。

でも今となっては、性の多様化が進みすぎて、むしろ自分をその何十何百とある枠のひとつにはめようとしなくてもいいや、と思っています。

づっきーはづっきーです。

性別はづっきーです。

どっちでもいいんですよ。

なんでもあり

それが性というものなのではないでしょうか。

こんなこと言っていると、しっかり割り切れているように見えますが、もちろん未だに怖い気持ちもあります。

何かしらの枠に純粋にはまれている人を見ると、いいなあって思います。

そりゃそうですよ。

安定しているんだもん、その人たち。

まあ、とはいえ、人は人、自分は自分って考えることは生きていく上で非常に大切なマインドですね。

最後に自分を救うのも、認めてあげるのも、信じるのも、全て自分自身ですから。

HSP

以前の記事で、HSPについては語っていますが…

づっきーは人付き合いが苦手で、定期的につるむ人を更新しないと、精神的に持たない部分があります。

だから、高校も大学もあえて遠いところを選びました。

性に関してはなんでもありって思えるけど、精神的な面についてはそもそも枠なんて存在しません。

ただ人よりメンタルが弱くて、傷つきやすくて、引きずりやすくて、というだけです。

だからこそ、づっきーには枠が必要でした。

自分のことをHSPというのは甘えだと考える人もいます。

もちろん、それはひとつの考え方なので否定しません。

でも、HSPという枠があるだけで、そこにはまっているだけで信じられないくらい安定するんですよね。

づっきーはHSPなんだから、ちょっとくらい仕方ないよって自分を慰めてあげることができる。

さっきも言ったかもしれないですが、

自分を生かすも殺すも自分次第ですから。

ここで、なぜ社会学を学ぶほどの余裕がある(※以前の投稿でお伝えしていなかったらごめんなさい。づっきーは大学で社会学専攻です。)ように見えるづっきーが、そこまでしてHSPという枠にハマりたがるのか?という疑問が湧くかもしれません。

それは、こう見えてもづっきーは相当弱いから、です。

づっきーは、自分の欠点とか弱さを他者に見られるのが怖くてたまりません。

だから、それを隠すために、上部だけの人付き合いを続けてきたし、自分のことを深掘りされたくないから相手のことも深掘りしないようにしてきました。

こうやって他者に対して心を閉ざして生きてきたから、人間に興味すら持てなくなったのかもしれないですね。

人間観察は好きなくせに、その人の本当を知りたいわけではない。

特に、偏見を持って「きっとこの人はこういう人物なのだろう」とかも考えたりしません。

自分から見たその人の印象だけで十分です。

そうしないと、情報過多になってしまうからです。

まとめ

とりあえず、「枠」っていうのは自己満足で作っちゃっていいんじゃないかなって思います。

もちろん、既に用意されている何かしらの枠に入ることも良いことなのは確かです。

自分が安定していられる居場所をひとつでも見つけられれば、それでいいんだと思います。

づっきーはまだ、物理的、精神的な居場所探しの最中です。

それらが同じところにあるのか、全く別物なのかも分かりません。

ただ、ゆっくり時間をかけて探していこうと思います。

このブログが、普段考えることのない「枠」について少しでも考えるきっかけになれたら嬉しいです。

自分は何者でもない、居場所なんかない

と思っているのであれば、自分で自分だけのコミュニティを作ってみるのもありです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました<3

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