こんにちは!づっきーです。
今日は、づっきーのつぶやき記録ということで、「見えている世界」をテーマに語っていこうと思います。
第一弾「視力編」と第二弾「視界、視野編」の2回に分けて書いていきます。
第一弾の「視力編」では、視力が原因で悩んだ過去についてお話しします。
それでは、本題に進んでいきましょう;)
視力
実は、づっきーは視力がとっっっても弱いです。
9歳の頃に眼鏡をかけ始めて以来、視力が悪化の一途(いっと)を辿り続け、なかなか止まってくれません:((
成人した現在でもなお、視力が低下し続けています。
家族全員、眼鏡orコンタクトをかけているので、遺伝が最大の要因であるとは思いますが…
中学生の頃には両親よりも悪くなってしまい、遺伝を軽々と超えてしまいました。
周囲の人間でづっきーよりも視力の弱い人を見たことがありません。
(とはいえ、芸能人には2名ほどづっきーよりも弱い人を見かけたことがあるので、上には上がいるのだなあ、と少し安心してしまいますが。笑)
小学生
づっきーは幼少期からずっと眼鏡をかけて生活してきました。
初めて眼鏡をゲットした時は、嬉しくてたまりませんでした。
友人たちはまだ誰もかけていなかったので、みんなよりも先に、一歩大人に近づいた気がしたのです。
しかし、眼鏡をかけたことにより、真面目そうな印象を与えるようになっていきました。
元々、勤勉で完璧主義な性格だったため、ほぼ全てのテストで100点近く取っていましたが、
そのテストの結果と見た目によって、真面目キャラがついてしまいました。
さらには、姉に、眼鏡をかけたづっきーの顔が「ブタみたいだ」と馬鹿にされるようになりました。
姉は可愛らしい顔を持っていたために、顔面の差がより広がったように感じてかなりショックでした。
もう眼鏡なんてかけたくない、でも、眼鏡がないと何も見えないし。
と、小学生づっきーは負のループに陥っていきました。
自分の顔に全く自信が持てなくなり、当時覚えたての「セイケイ」とやらに憧れるようになりました。
中学生
中学校に上がると、周囲の女子たちが見た目に気を遣うようになり、眼鏡づっきーはどんどん置いていかるようになりました。
づっきーはとある運動部に所属していたのですが、部員がそれはまあみんな可愛くて、
他校からも「づっきー中学校のづっきー部の顔面偏差値が異様に高い」で有名だったほど。
づっきーはみんなといるのが恥ずかしくてたまりませんでした。
きっと顔面偏差値を唯一下げていたのはづっきーだったので。
そして、この時、中学生ながらに「人生って顔で決まるんだなあ」って思ったのを今でも覚えています。
正直言って、部員のほとんどが勉強が苦手だったのですが、
どんなに頭が悪くても、どんなに性格が悪くても、顔が良ければ誰かに選んでもらえるんだから、人生の充実度は生まれた時点で決まっていたのだ、なんて捻(ひね)くれた考え方をしていました。
だって、小学校の先生に「顔は努力で変えられないのだから、人の顔を馬鹿にしてはいけません。」って嫌になるほど刷り込まれてきたわけですから。
中学でも割と優秀だったづっきーは案の定、真面目キャラを植え付けられ、キラキラ部員たちの輪に入らせてもらうことはできませんでした。
他の部員たちとの人間関係を上手く構築することができず、づっきーは荒れていくことになります。
まあ、この辺に関しては、いつか気が向いたらお話しします。
そして、追い討ちをかけたのが、「づっきーの眼鏡、牛乳瓶みたい」という母の一言。
母にすら小馬鹿にされるんだから、相当酷(ひど)い顔なんだなって思い知らされました。
高校
高校では、本当に友人に恵まれていました。
英語科という特殊なコースに属していたこともあり、志が高く、海外志向が強く、オープンな子たちばかりでした。
づっきーは母の一言以来、一生眼鏡をかけて外出しないと心に誓ったので、高校からはコンタクトで登校していました。
しかし、ある日クラスメイトの1人が、づっきーがタグ付けされた中学時代の部員のInstagramの投稿を発見。
「づっきーの顔やばい」と教室中に響き渡る声で揶揄(からか)ってきました。
それを聞いたクラスメイトたちはもちろん、づっきーのやばい顔に興味を持ち詮索し始めました。
づっきーはそれが本当に嫌で、申し訳なさを感じつつも自身のアカウントからその投稿を非表示設定にしました。
コンタクトにして、新しい顔のづっきーとして歩み始めたのに、一瞬で「黒歴史」を掘り起こされました。
この事件以来、づっきーは「過去」というものが嫌いになり、誰の過去にも興味がなくなったし、歴史の授業も嫌いになりました。(今考えるとちょっと極端だったかもしれないですね。笑)
大学
大学に入ってからも、視力の低下は止まらず、眼科代、コンタクト代、眼鏡代と出費がかさみ続けました。
なんてお金のかかる身体なのだろう、と自分自身に嫌気がさすことも多々ありました。
しかし、転機が訪れます。
ある芸能人がICL手術をしたことを公表したのです。
ICL手術とは
ICL手術とは、目の中にレンズを挿入し、近視、遠視、乱視を矯正する手術のことです。
つまり、ある程度視力の低下がおさまった人がこの手術をすることで、
- さらなる視力の低下を抑える
- コンタクトや眼鏡の購入、メンテナンスが不要
になるという画期的な手術なのです!
それから、視力に関する術式を調べた結果、最もこのICL手術が自分の眼に適しているのではないかという結論に至りました。
しかし、づっきーは気付きます。
づっきーの眼は少し特殊で、
そもそも視力がかなり悪いことに加えて、片方の眼だけ近視と乱視が混ざっていたり、角度?とやらが極端だったり…
と、普段コンタクトを購入する時でさえ取り寄せしています。
そのため、費用が70万円近くかかるらしいことに気がついてしまったのです。
そんなんバイト代どころか親にも頼み込めない金額ジャーン。
ってことで、しかも視力の低下がある程度おさまってからの方が良いとの情報もあり、結局、現在でも手術できていません:(
づっきーはよく海外渡航をするので、できれば早いうちに受けたいところですが、予定は未定です。笑
現在
顔を馬鹿にされ続けてきたづっきーですが、
実は、ここ2年間で、とある女優さんに似ていると言われたことが3回もあります。(自慢です。笑)
それまで全く意識していなかったので、同じ女優さんの名前が3回も出てくるなんて、それはもう驚き桃のき三度の木でした。
人生ってほんと皮肉めいていますよね。
顔で人生が崩壊しかけたづっきーが、今では顔を褒められるようになった。
なんて皮肉なんだろう、ってよく思います。
小学校の教育方針も少し変更を加えた方が良さそうですね。
「顔は努力次第で変えられる」ことをづっきーが証明しているわけですから。
まとめ
今回は、「見えている世界」をテーマに第一弾視力編について書いていきました。
人生は、顔で決まるのか、経済力で決まるのか….
なんて、自分の身体のせいでひん曲がった思考になっていたづっきーの経験を振り返ってみました。
顔に自信がない方、見た目にコンプレックスを抱えている方、絶対いると思います。
諦めないでください。
一旦、自分を見つめ直すと、不思議なことに「何が似合うのか、何をすれば美しくなれるのか」色々改善点と解決策が見えてくるものです。
嫌いな自分を自分で見ない限り、一生嫌いな自分として生きていくことになります。
もしくは、そんな自分すらも受け入れてくれる人に出会えれば良いですね。
顔を馬鹿にされることの辛さや自分に対する嫌悪感は痛いほどわかります。
皆さんが少しでもみなさん自身を、そしてみなさんの人生を好きになれることを願っています。
それでは、第二弾もお楽しみに!!
コメント