【つぶやき】性について

つぶやき

こんにちは!づっきーです。

今回は、生まれもった性と実際に自分が感じている性自認との比較と、性的指向の二点について、

づっきーの体験を基に語っていこうと思います。

生まれもった性と性自認/性的指向

SDGs(持続可能な17の開発目標)という指標とともに、

「ジェンダー」という言葉が世間的に広く知られ、考えられるようになりました。

つい最近のことのように思います。

ジェンダーは、SDGs(持続可能な開発目標)の5番目に当たる指標です。

いつの時代にも、生物学的な性と性自認が異なる人や、惹かれる人が自らと同じ性である人はいたはずです。

しかし、そういった人たちの存在は、存在しないものとして見て見ぬフリをされてきただけでなく、

”普通ではない人” ”変な人”として、差別や嘲笑の対象となり続けてきました。

性と性自認

実家に帰省した際のある日の出来事です。

ある晩、両親と共に、とあるバラエティ番組を見ていると、

生物学的性は男性であるが、女性のような仕草をする方が映っていました。

すると、その方をみた父が、

「あの子もオカマちゃんかな?なんかちょっと変だったもんね」

と言いました。

づっきーは、その一言に呆れ返り、途端にその場から逃げ出したくなりました。

社会学を、しかもジェンダー学を学びたくて大学に進学した子の前で、よくそんなこと言えるな、と。

そもそも、づっきーが社会学部に所属していることを、父が知っているのかすら微妙ですが。

いつの時代の人間だよ、って思いました。

いや、いつの時代でも良くない。

づっきーは、どうして今更になって、

多くの企業で”セクシュアルハラスメント”に関する講座や対策が行なわれているのか、

ずっと疑問でした。

でも、全ての人が、性自認が生物学的な性と一致していることを当たり前としている人なんて、

この世には大量にいるんだろうなって、救いようのない世界に絶望感を抱きました。

ましてや、自分の子が”娘”であることを前提としているんだな、と。

づっきーは幼少期、ずっと男の子になりたかったです。

可愛いと言われるよりもかっこいいと言われる方が嬉しかったし、

フリフリの服を着るよりも、いつでも走れるジャージを着ている方が好きでした。

だから、姉のおさがりの服を着るのが、苦痛で仕方がありませんでした。

そんなづっきーにも時折、”女の子”の気分になる日がありました。

これが、づっきーのその後を混乱させている原因です。

そして、そのまま、自分が何であるのか訳の分からないまま、高校に進学しました。

あえての女子校、それも英語科です。

そこで、づっきーの人生のターニングポイント①が訪れます。

そこには、可愛いをひたすら追求する子、英語が苦手だから英語科を選んだ秀才、

バンド活動に勤しむ子、何ヶ国語もマスターしてしまう言語の鬼、帰国子女の子、等々、、、

とにかく一人一人が個性豊かで、互いの違いを認め合う、カラフルな子たちに囲まれていました。

づっきーの学年の英語科は50人前後でしたが、色は無限に見えました。

女子校特有なのかは分かりませんが、SDGs、特にジェンダーや性教育が盛んでした。

づっきーは、性が男と女の2択ではないことを知りました。

そこでようやく、性は無限であり、人の数だけあるのではないか、と思い始めました。

それが、自分の性について深く考えたくなった理由となり、大学進学に繋がっていきます。

しかし、高校の時のづっきーは、自分を何かしらの肩書きに当てはめたくて、

必死になって自分の状態近い言葉はどれかを探していました。

トランスジェンダー、レズビアン、ノンバイナリー、クエスチョニング、、、

でも、考えれば考えるほど、余計に自分のアイデンティティが喪失していくのを感じていました。

小、中学生まではトランスジェンダーのF to Mだったのかな?

でも、スカートを履きたいと思う日もあったよな

そもそも、スカート=女の子っていう考え方が偏っているな

女の子がパンツを履いていいなら、男の子がスカートを履いたって何の問題もないのではないか

逆に女子生徒にスカートを強制する制服もおかしいし。

などという風に、色々と考えた結果、

とりあえず自分はノンバイナリー(※)という肩書きを持っておけば、どうにでもなる気がしていました。

性と性的指向

厳密に言えば、づっきーの場合、性的指向が生物学的な性と一致していなかったわけではありません。

づっきーには、恋愛感情はなかったからです。

高校の時に初めて、この子となら付き合えるな、と思う子に出会いました。

でもそれは恋愛感情ではなく、単に、その子といる時は居心地が良い、ありのままの自分でいられる、

という感覚でした。

そこで、仮に自分の姓を”女性”とすると、自分はレズビアンになるなあ、という感じで、

ずっと頭の中で、自分の姓を彷徨っていました。

そんな時、確かディスカッションの授業でお題がジェンダーだった時、友人の1人が、

「別に自分の性とか肩書きとか、名前のあるものに当てはめる必要なくない?」

と、一言放ちました。

づっきーは、その言葉に度肝を抜かれました。

ナイフが腹から背中を突き抜けるほどにブッ刺される感覚と衝撃を受けました。

そうか、自分はこれまで、常に不安定で、感性がずれていて、”普通”が分からなかったからこそ、

何かしらの肩書きに当てはまっていたい、という無意識の衝動に駆られていたのかもしれない、と。

「自分らしい」とは何か、そして、”WHAT AM I?”

について追求したいと自分を知るために、大学という選択肢を考えるようになったのでした。

そして、親がづっきーのことを理解して納得してくれるほどの知識と自信を身につけた上で、

真正面から戦いたい、と思っていたのだ、ということに気がつきました。

最後に

今回は、生まれもった性と性自認や性的指向が異なる人もいるよ、ということを、

づっきー自身が当事者目線で語ってみました。

今回の内容も、つい最近、ノートに殴り書きしたものなのですが、

自律神経失調症になって、予期せぬ3回目の休学をすることになったことで、

いっそ退学した方がいいのではないだろうか、と考えるようになってしまっていましたが、

自分が、高校時代、いや、半年前までは、

夢と希望に溢れた、知識とスキルと身につけることに貪欲な人間であったことを思い出したので、

ここに書き留めました。

自分から学ぶということを奪うと何も残らないことは、自分自身が1番わかっているはずなのに、

退学の2文字ばかりが頭にこびりついていました。

とはいえ、現在でも、復学して学びを再開させたいのかは、まだ答えは出ていません。

今はひたすら、規則正しい生活をできるようになることだけに集中合するのみです。

いつも通り、話が飛躍してしまいましたが、

性は決して2択ではないこと、むしろ性はグラデーションであり、無限に存在する、

ということが伝わっていれば嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました:))

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