こんにちは!づっきーです。
今回は、ニュージーランド旅の概要をお伝えするというよりは、旅中と帰国後の心境について主に語っていきたいと思います。
New Zealand旅
先週1週間程度、海外の大学に長期留学している友人と現地集合して、ニュージーランドへ旅していました。
そして、今朝着の便で帰ってきたところです。笑
経緯
実はこの旅、日本を出発する1カ月前までは、結構されない予定でした。
と言うのも、ご存知の通り、づっきーはうつ病からなる自律神経失調症を患っており、たかがアルバイトですら怖くなってしまったこともあり、
1カ月間の趙ド短気の採点バイトをして以来、次のバイトを探しては、絶対自分には無理だ。と、働くことに対する抵抗感と不安感から今後の収入の目処(めど)が立っていなかったため、最初に誘われた時には断っていたのです。
しかし、その後も何度か母親と連絡を取り合ったり、時に電話なんかもしたりするうちに、やっぱり自分は海外に行くべきだ!と思い立ち、すぐに友人に連絡を入れ、渡航の3週間前から計画を立て始めたのでした。笑
国民性
ニュージーランドの人たちはみんな温かくて、優しくて、仕事中もみんな笑顔で本当に楽しそうに側rしているのが、とても印象的でした。
なんたって、日本で楽しそうに働いている人をほとんど見かけることがないからです。(笑)
個人的な見解ですが、
日本では、生きるために働く、つまり仕事をすることは楽しいことというよりは、仕事=我慢を伴うことと捉えて働いている人が多いように感じます。
一方、ニュージーランドで長距離バスを利用した際に、何かしらのトラブルによりバスが動かなくなってしまい、代わりのバスが迎えに来てくれて、そのバスで帰る、という出来事が起こりました。
もちろん、バスにトラブルが発生した際、ドライバーさんも多少は焦っていたように見えました。
しかし、乗客の私たちには、「美しい景色をゆっくり観れるね」「こんなゆっくり走っているのにまだまだ陽は落ちていない」などといったユーモアを交えて、常に明るく楽しませてくれていました。
私たちは、その日特に予定を入れていなかったため問題はありませんでしたが、「代わりのバスが来るまで1〜2時間かかるから早く帰りたい人はヒッチハイクして帰ってもいいよ」なんてことも言っていました。
なんて安全で寛容なお国柄なのだろう、、と感銘を受けてしまいました。
そして最終的に、目的地に到着したのは予定の時刻の3時間後とかだったかと思います。
日本であれば、きっと陳謝して、返金対応など何かしらのサービスで挽回しようと奮闘するだろうというような事態でしたが、
ニュージーランドのドライバーさんたちは「長旅お疲れ様でした〜」というラフな感想ばかり言っていて、最後に「今日は大幅に遅れてごめんね」とこれもまたラフな感じで謝っただけでした。
そのくらいの責任感が丁度良いですね。
車内では、同僚同士でお喋りしながら運転し続けていて、ずっと盛り上がっていました。笑
今回の旅で、首都のオークランド、そしてクライストチャーチとテカポ湖を訪れたのですが、
どの街も規模感が丁度良く、時間がゆっくりと流れていました。
きっと、忙(せわ)しなくしている人を見かけなかったからこそ、そう感じたのだと思います。
帰国
※今回はニュージーランドについて語ることが目的ではないので、ぜひ自分の脚で訪れて、五感を通じて現地の雰囲気を吸収して欲しいなー、と思います。
さあ、日本に到着しました。
空港にいる間は特段、気分的な変化や落ち込みはありませんでした。
しかし、
電車に乗った瞬間、自分が日本にいるという現実に直面し、
一言で言うと、死にたくなりました。
日本にいると、なんだか生きる気力がなくなってしまうんですよね。
理由は大体わかっています。
これまで経験してきた、死にたくなるほどの出来事が全て日本で起こっていること、
それが、日本特有の暗黙のルールに基づいた働き方や生き方、他人の考えていることを察する文化がずっと合わないと思って、これまでの人生を過ごしてきたから。
だからだと思っています。
生きるために働かなきゃ。働くために生きなきゃ。働くために大学に戻らなきゃ。
ニュージーランドにいる間の1週間だけ忘れていたことを、一気に思い出して一気に落ち込み、その落差からか一瞬のうちに「死にたい」「これ以上生きていたくない」という思いがブワッと湧いてしまったのだと思います。
これまで訪れたどの国でも、海外にいるときは、「自分のために生きよう」という気になっていました。
しかし、日本にいる間はずっと「とりえず生き抜くために働かなきゃいけないんだろう」「だとしたらなんのために生きているのだろうか」という無限ループに陥ってしまうのです。
帰国当日からこんな感情になるとは正直、予期していなかったですが、
初めての海外であるスリランカから帰国してから、気持ちを立て直すのに2週間程度というかなりの時間を要したことからも納得はしました。
ついに、楽しい記憶について語るのか、と期待させといて「死にたい」などというかなり強烈なワードによって感情をぶつけてしまったことは申し訳ないです。
しかし、これが、幼少期からうつ的症状があり、「生きたい」と思ったことが一度もないづっきーの現実なのです。
づっきーは誰かからの共感や同情が欲しいわけではありません。
現にこのブログも、偶然見つけた人が同じような境遇にいる人の存在を感じることで、少しでも気分的に楽になってもらえたらいいな、くらいの気持ちでやっているので。
そして何より、誰にも話せないような心の内を吐き出すことで、自分自身を救うために始めました。
そうでもしないと、どんどんどんどん考えることだけが溜まっていって、本当に一生立てなくなると思ったからです。
少し中途半端な締めくくりになってしまいましたが、今回はここまでにします。
それでは、本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました:))
また次の投稿でお会いしましょう。
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