こんにちは!づっきーです。
今日は、『息子のボーイフレンド』(秋吉理香子著)という本を紹介したいと思います。
タイトルから一目瞭然かと思いますが…
この本は、自身の高校生の息子に彼氏ができたBL好きの主婦を描いた本となっています。
詳しい内容は後ほど紹介します:)
この記事では、『息子のボーイフレンド』の構成、大まかなあらすじ、実際に読んだ感想についてまとめていきます。
息子のボーイフレンド
づっきーがこの『息子のボーイフレンド』という本と出会ったのは、この本が出版されてから割とすぐの頃だったかと思います。
づっきーは高校生の頃、「自分とは何か?」という素朴な疑問にぶち当たってしまい、
幼少期からずっと抱えていた性自認に対する違和感と疑問について研究することで
自分について知っていこうと思い立ち、大学では社会学を専攻していました。
と、づっきーの経歴はさておき、本の紹介をしていきます!笑
ある日、いつものように書店でふらふらしていると、この本が目にとまりました。
ジェンダーや性に関する本のコーナーで、新書や論文といったお堅い文章のものばかり並ぶ中、
この本は鮮やかな緑色のカバーとそのタイトルで一際目立っていました。
すぐに手に取り、ページをパラパラとめくってみると、なんだか非常に読みやすそうで購入してみることに。
構成
- 2021年 第1刷発行
- 全251ページ
- 5部編成
本書は、5章から構成されていて、章ごとに目線が変わっていくのが面白いポイント。
会話文が多く盛り込まれており、会話と情景描写から自分もその場に居合わせているかのような感覚に陥ります。
読み進めていくうちに、
づっきー自身も実にいろんなことを考えさせられたし、登場人物がそれぞれ抱える苦悩や葛藤に共感したり、寄り添ってあげたくなったりしていました。笑
あらすじ
第1章 莉緒
莉緒は高校生の息子を持つ専業主婦であり、自身の学生時代には後々登場する親友の優美とBLにどハマりしていた。
一見、同性愛者への理解力や寛容性があるように思えるが、実際に自分の息子に当事者であることをカミングアウトされた時、無意識のうちに「バチが当たった」のだと考えてしまう。
自分には直接関係ない世界線であると思い込んでいたからであろう。
第1章では、息子が勇気を振り絞って出した言葉と現実をなかなか受け入れることができずに悩む莉緒の様子が描かれている。
第2章 聖将
高校2年生の聖将は、ある日母親である莉緒に自身がゲイであることをカミングアウトし、最終的に恋人・雄哉との交際を認めてもらう。
第二章では、聖将が雄哉と出会った頃を思い返すシーンや、誰よりも理解して受け入れてほしいと願う母親に認めてもらえない聖将の苦悩が描かれている。
第3章 優美
優美は莉緒の親友であり、楽観的で首を突っ込みたがりな性格から、聖将らと莉緒それぞれの状況を最もよく知っている。
優美が不妊治療を専門とする病院でメディカルアシスタントとして働く中で、男女で夫婦関係にあっても本当はゲイである患者に出会い、当事者としての過酷な経験談を聞く機会を持つ。
第3章では、同性愛者が抱える困難に直面し、まだ何も知らない聖将の父・稲男と聖将、莉緒それぞれの立場を理解した上で改めて聖将と雄哉の関係が良い方向に向かってほしいと願う優美の心情が描かれている。
第4章 稲男
稲男は、雄哉のサークルのバンドライブに赴(おもむ)き、大学生に囲まれる中で莉緒と出会った時のことを思い返すシーンから始まる。
稲男が務める会社でもLGBTフレンドリーが推進されていた。
そんな中、家に遊びに来ていた雄哉を聖将が見送りに行ったあと、ポストに入っている封筒を見つけ、そこに書かれていた文字に仰天し、慌てて家を飛び出し聖将と雄哉が交際している事実を目の当たりにしてしまう。
第4章では、他人の性自認や性的指向に関しては寛容的な態度を示していた稲男が、自分の息子が当事者であるという予想だにしない展開に驚きを隠せない様子が描かれている。
第5章 雄哉
雄哉は、以前付き合っていた美弥子に聖将と交際していることをカミングアウトした際、男同士で付き合うことで周囲に迷惑がかかるという厳しい言葉を突きつけられたことを思い返していた。
その後、事実を目撃した稲男に聖将と別れてほしいと頼まれ、沈んだ気分が続く。
第5章では、まだ高校生の聖将の将来のためにも聖将との関係にためらいや葛藤を感じつつ、本心では誰よりも聖将を想っている雄哉の複雑な心境が描かれている。
実際に読んだ感想
づっきーは、この『息子のボーイフレンド』を読んだ後、しばらくの間ずーっとにやけていました。笑
なんだか、幸せな気分になりました。
特段BL好きというわけではないのですが、
元々、異性愛カップルよりも同性愛カップルを見ているとき、ものすごく幸せな気分になるんです。
憧れなのでしょうか。
づっきーは女子校に通っていたのですが、人生で初めて「この人となら付き合える」と思ったのはその時でした。
その子に対して特に恋愛感情とかはなかったのですが、
話している時、一緒にいる時、なんだか落ち着いたんですよね。
その時に、恋愛感情だけで付き合ったりするものではないのかもしれない、と思いました。
一般的に、顔なり性格なり経済力なり、なんでも良いですが、自分の理想に合った人に惹かれ「好き」という恋愛感情が発生し、交際に発展すると思います。
しかし、そういった特別な感情がなくても、一緒にいて落ち着く人と結ばれるべき、
というか、結ばれたいなあ、なんて考えてしまいました。
幼少期は、性別を変えたいと思っていました。
でも、そんなこと親に言えるはずもなく、その時はもちろん知識もなかったため、ただひたすらに孤独を感じていたのを覚えています。
なぜ、生まれ持った性と自認している性が異なるだけで批判の対象になるのでしょうか。
だって、私たちは誰1人として、こっちの性別で産まれたいって言って産まれてきていないですよね。
生まれ持った性と自認が同じことが「普通」であるというならば、
産まれ持った性と自認している性が異なることも「普通」なのではないでしょうか。
づっきーには、「普通」が何を意味しているのかわかりません。
しかし、誰かが決めた「普通」の基準はその誰かの基準である以上の意味を持ちません。
だって、私たちは1人として同じ人間はいないわけですから。
「普通」という言葉が広く普及している以上、それぞれが自分なりの「普通」に従っていればそれで良いのだとづっきーは思います。
まとめ
今日は、秋吉理香子さん著『息子のボーイフレンド』という本について紹介しました!
本書では、当事者だけではなく、身近な周囲の人たちがそれぞれに抱える困難や葛藤、躊躇などが鮮明に描かれています。
登場人物が差別的だ!と思う方もいるかもしれないですが、これが日本の現状と言っても過言ではないのでしょうか。
読んでみようかなっていう気になってくれたら嬉しいです。
本書には、「腐女子」や「ゲイ」という言葉が使用されており、少し差別的な表現が刺さる感覚もありますが、ストーリー仕立てになっていて非常に読みやすいので一度手に取って読んでみて、改めて自分について、そして周囲の人物について考えてみるきっかけを掴むのはいかがでしょうか。
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