【つぶやき】過去

つぶやき

こんにちは!づっきーです。

今回は、「過去」というテーマから、主に中学時代の自分自身について振り返っていこうと思います。

実は最近、づっきーは、PTSD※1とそれに伴ったうつ的症状があると診断されました。

※1心的外傷後ストレス障害:トラウマ的な過去の出来事の記憶がフラッシュバックしたりすることで、まともに日常生活が送れなくなるほどの強い苦痛や恐怖を感じる精神疾患、のことです。

現在もなお、薬による治療や、苦痛に感じることを極力避けて生活するなどして、体調の回復を試みています。

PTSDとうつ症状に関しては、またいつかの回で詳しくお話しできればと考えています。

直接的には、2月の中旬に辞めたバイト先での体験がきっかけで一気に気分が沈んでしまい、結果として今回のうつ症状に繋がったのですが、根本的な要素は中学時代にあると思います。

そこで、今回は正直思い出さないように封じ込めてきた記憶を遡り、中学時代の経験から過去について語っていきます。

⚠️今回は、かなりどんよりとした内容となりますので、気分が沈んでしまうかもしれません。

メンタル的に問題のないという方のみ読んでいただければと思います。

それでは、今日も最後までお付き合いください;))

過去と記憶

づっきーは正直、現在と未来だけを見ていたいです。

その2つさえあれば十分じゃないかと思ってしまいます。

しかし、「過去」っていう言葉がある以上、きっと誰かにとって、あるいは時代にとっては必要なものなんだろうなとは分かります。

過去という大枠の中に、歴史があります。

それは、これまで私たちが生きていく上での術を与えてくれたり、世界を分断したり結合したり、いろんな作用をもたらします。

づっきーの過去は真っ黒です。

俗に言う、黒歴史っていうやつが晩年続いている状態ですね。

できることなら思い出したくもないし、なんなら綺麗さっぱり消し去りたい。

でも、人の感覚とか記憶って面白いもので、楽しい瞬間は一瞬で過ぎ去るのに、嫌な時間は永遠に続くように感じる。

づっきーには、楽しかった記憶がほとんど全くありません。

思い出せるのは、暗くて苦しくて辛い気分になるような嫌な記憶だけ。

辛い体験がより辛い体験によって塗り替えられてきたような人生だからか、楽しいことを思い出すのが何よりも辛い体験になるとわかっているからこそ、楽しい記憶を思い出すのが怖いのかもしれません。

人間の記憶ってすごいもので、辛いと感じている瞬間に「あの時楽しかったな」なんて思い出してしまうと、もうそこから這い上がれなくなるから、いっそのこと楽しい記憶を無くしてしまおうってなったのかもしれないですね。

ある種の自己防衛システムと言えるかもしれないです。

いや、逆だろ!!って思いますが。

楽しかった記憶だけ残ってくれよって。

でも、こう考えると少し納得できるかもしれません。

楽しいことが体感的に一瞬で過ぎていくということは、それだけ軽い記憶なのかもしれない。

だから辛いことって、それだけ重くて大切なことだから記憶に残りやすいのかも。

とはいえ、辛い記憶と共に生きていくことは本当にしんどいことなので、づっきーはできるなら自分の過去を振り返りたくはありません。

というか、過去を無かったことにしたいくらいです。笑

だから、不可能とわかっていても、過去を無理やり消し去ろうとしていました。

だから、他の人にも自分の過去を掘り起こされたくない。

だから、自分も相手の過去を知ろうとはしない。

づっきー史上、最大の逃げかもしれないですね。

ですが、これがづっきー流、自己防衛から自己防衛するための策なのです。

中学時代

人生史上、最悪の期間だと思っていました。

「思っていた」というのは、このことをクリニックの先生に伝えると、「現在の状態の方がよっぽど悪い」と言われてしまったからです。

とはいえ、づっきーが事あるごとに病みやすくなったのは、この中学時代の経験が影響していることは確かです。

づっきーは、中学時代かなり荒れていました。

ストレスと自己喪失と自信喪失によって、どこに発散すれば良いのかわからず、なんとか慰めようとしてくれていた母親に強く当たっていました。

あまり覚えていないですが、とにかく精神的に荒れ果てていました。

以前ちらっと話したかもしれないですが、中学時代、とある運動部に所属していました。

づっきーの中学校はほとんどの部活動が全国大会に出場するような強豪校で、何かしらの運動部に所属していないと落ちこぼれる、という暗黙の了解てきな風潮がありました。

当たり前のようにづっきーも運動部に入りました。

入った部活が間違っていたのか、どの部活に入っても結果は同じだったのか分かりませんが、とにかく死ぬほど病み続けました。

「死ぬほど」というのも、中学校の3年間、いや引退までの2年半の間に何回何百回死のうとしたか、何千回死にたいと懇願したか、

とにかく、自分という存在を全人類の記憶から消し去ってほしいと思っていました。

あたかも自分は元から存在していなかったかのように。

顧問の先生も大嫌いでしたが、何よりづっきーが心の底から嫌悪感を抱いていたのはチームメイト、特に同学年の子達でした。

表面上では、これ以上ないほど仲の良い学年だったし、みんな可愛らしくて技術もあって、学校でも大会でも華々しかったです。

きっとみんなが憧れるような集団だったと思います。

でも、表面は表面。

関係性は真っ暗でした。

もちろん一軍的な子たちは心の底からみんなが思うキラキラ集団の一員だと思っていたのだと思います。

そういう面で笑えないほど頭が悪かったし、一軍はとても楽しそうでした。

眼鏡をかけていて、いつの間にかついていた真面目キャラのづっきーにはその子たちのノリについていくことはできませんでした。

中学時代に、いろんなことを経験し過ぎて、それが全部暗すぎて、何も伝えられていませんが、とりあえずづっきーは省かれていました。

きっと、今になってその子たちに当時のことを聞いたとしても誰もそのことを自覚ている人はいないと思います。

あんなにキラキラしている人たちには、そりゃづっきーの存在なんて見えているはずがありませんから。

今では分かります。

自分の努力不足だったんだって。

部活面でも、見た目でも、ノリでも、全部において努力をしていなかったんです。

でも当時は、その状況を全部みんなのせいにして被害者づらしていました。

謝りたくはないですが、一概に被害者ぶっていられません。

でも、もしあの時づっきーがみんなのノリに合わせて必死についていこうとしていたら、きっとづっきーは自分を失っていたと思います。

人格を失っていたか、物理的に自分を失っていたか。

まあ結局、合わせようとしてこなかった結果として、現在のうつ病づっきーが形成されてしまったのですが。

正解

何が正解かなんて誰にもわからないんですよ。

人って何故か正解を求めたがるんですよね。

づっきーもそうです。

白か黒か、どっちかはっきりさせたくなってしまうものなんです。

でも、生きていて何かしらの答えに出会う確率って0.0000001%にも満たないのではないでしょうか。

人間って、「なんでも熟知していますよ感」を醸(かも)し出しておきながら、答えに辿り着けていることなんてほぼ皆無。

だからこそ、人生っていうものが成り立っているのかもしれないですが。

そして、もっというならば、

きっとづっきーはだからこそ社会学という答えとは無縁の学問に興味を持ったんだと思います。

話が脱線に脱線を重ねて、結局何も言い表せないままですが、中学時代はある意味、人生の分岐点①になったと言えるのではないでしょうか。

まとめ

今回のつぶやきを読んで、気分をどんよりさせてしまったら申し訳ありません。

ですが、ようやく自分の心の弱さが何なのか、少しわかってきたところで、自分の経験について振り返り、自分が何を思っていたのか、何を考えているのか、を共有することで、1人で悩んでいる人が孤独感から解放されてほしいという願いから発信しています。

づっきーも、ここ2ヶ月間ほど人を見たくないし、誰とも喋りたくないし、という状況が続いていました。

今でもまだ少しだけその気持ちが残っています。

いやでも人は1人で生きていくことを許されていません。

少しずつ、少しずつ、人に対するトラウマを克服していこうと思っています。

人が嫌いかもしれないですが、あなたは1人じゃないって言われたら何故か安心しますよね。

それってつまり、自分の奥底に潜んでいる、人に助けを求めているサインなのではないでしょうか。

あなたは唯一無二の存在であって、あなたはあなたしかいません。

しかし、あなたはあなたとは違う無数の個性に囲まれて生きています。

だからあなたは決して1人ではありません。

少しでも心が安定することを願っています。

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