こんにちは!づっきーです。
本日は、づっきーがこれまで次女として生きてきた中で感じた「次女の宿命」について語っていこうと思います。
次女の宿命
1番目の子(長男・長女)は、お手本となる存在がいない中で、どれだけ自分の世界を拡げるかは自分自身に懸かっています。
無知の状況から、自分に合っているものは何か、自分は何が得意で何が好きで、どんなことに興味があるのか、ひとつひとつ開拓していかなければいけません。
そういった意味で、1番目の子はさまざまな困難に直面しながらたくましく成長していくのだと思います。
少し表現の仕方にトゲがあるかもしれませんが、1番目の子の苦労は何かと着目されやすいと言えるのではないでしょうか。
一方で、2番目の子についてはどうでしょうか。
1番目の子の真似をしているだけ、なんて思われがちですが、それが全2番目の子にとって幸福かと言えばそんなわけはありません。
2番目の子への理解は、1番目の子に対するそれと比較してかなり薄いように感じます。
づっきーは次女なので、この事象を「次女の宿命」と呼んでいます。
そこで今回は、普段はあまり注目されにくい「次女」の困難(家庭や周囲の環境にもよると思うので、あくまでづっきーの経験上の自論です。)について書き留めていきます。
新しい職場のとある社員さん
づっきーは最近、新しい仕事を始めました。
ご家庭のある社員さんや主婦さん、フリーターさん等、さまざまな人と働いています。
その内の1人に、まだ小学生に上がる前の娘さん2人を育てる社員さんがいます。
実は、「次女の宿命」について改めて深く考え始めたのは、その方の存在が大きいです。
(その社員さんのお子さんについて、特にこれといった話はしていないのですが。笑)
今回の投稿は、一部その方に言いそびれたこと、と言えるかもしれません。
端的にいうと、づっきーが言いたいのは「2番目の子をよく観察してあげてください」ということです。
どんなに顔が似ていても、妹は姉と同一人物ではありません。
1人の子です。
「何を今更当たり前のことを」なんて思った人ほど、要注意ですよ。
づっきーは誰の親でもないためよくわからないことも多いですが、どうやら親にとってこのことを日常生活の中で意識、自覚することは中々に難しいことのようです。
姉の妹
家庭という視点から語っていくと見せかけて、最初に学校で感じていた「宿命」について述べていきます。
(ここからはづっきーの立場から語っていくので、長女・次女と表現します。)
づっきーは中学校が修了するまで「姉の妹」以上になることはありませんでした。
先述しましたが、長女はいわばパイオニアなのだと思います。
お手本となる存在がいないため、自ら開拓しない限りその先の道が開かれることはありません。
そういった面で、づっきーは常に開拓してきた姉のことを尊敬しています。
しかし、次女には次女の宿命があるものです。
義務教育課程において、づっきーが「姉の妹」「田中(仮)の妹」と認識されていました。
中学に上がるときには、入学前の登校日に「姉の妹」が入学すると先生方に多少なりとも噂されていたほどです。
結局、卒業までづっきーが「姉の妹」以上にあることはありませんでした。
高校は、同じ系列ではあるものの姉とは違う学校に入学しました。
誰もづっきーのことも、姉のことも知らない環境。
初めて「田中の妹」ではなく、「田中」そのものになれたような気がしました。
姉という信頼
姉が先駆者として始めていたことを始めるのは、非常に簡単なものでした。
姉は水泳を習っていました。
だからづっきーも必然的に水泳を習い始めました。
結局、姉は大会で記録を残すほどに実力を伸ばし、づっきーは卒園と同時に辞めました。
姉が英会話を習い始めました。
だからづっきーにも英会話を習うチャンスが降ってきました。
結局、姉は早々に英会話を辞め、づっきーは高校で英語科に入り、大学では国際コースに入る等、英語を軸に学び続けています。
当たり前のように英語を学び続けてきたわけではなく、母は何度もづっきーに「もうそろそろ英語はいいんじゃないか」と聞いてきました。
母からその言葉を聞くたびに、何がいいんだよって心の中で思っていましたが。
目にみえる結果を残せていなかったのも事実なので、これ以上の言い訳はしません。
母は、づっきーの興味関心あるいは提案に対して、第一声でYesをくれたことはありません。
直接的にも間接的にも、必ず否定から入るのです。
(本人は自覚がないようなので、あえてこのことを話すこともありませんが。)
小学生のとき、硬式テニスがとても上手な友人に影響され、母に自分もテニスを習いたいと申し出ました。
母に「ちょっと待って」と言われ、そのままづっきーは中学生になりました。
中学校では硬式テニス部がなかったためソフトテニス部に入部し、づっきーはそこでどん底まで落ちていきました。
毎日のように人生の底辺が更新されているように感じていましたが、後にどん底のさらに下まで落ちることになります。
似ても似つかない人生
姉とづっきーは似ても似つかない人生を歩んでいます。
似ているのは、雑音と同じ周波数の声と常に具合悪そうな肌色くらいですかね。
姉は幼少期からおしゃれや可愛らしい格好が好きで、づっきーはいつでも走り回れるようなジャージが落ち着くタイプでした。
それでも、服は姉のお下がりが基本です。
これは典型的な「次女の宿命」なのではないでしょうか。
づっきーはどうしても姉からもらった可愛らしい洋服たちを着たくなくて、
服はあるけど着る服はなくて、毎朝のように服選びだけで憂鬱で泣いていました。
ランドセルも中学校の制服も全部お下がりで、選ぶ必要がないのは楽な反面、優柔不断な性格を助長させていたようにも思います。
初めて自転車を買ってもらったのも高校に入学した時でした。
「知る」と「理解する」
母は、づっきーのことを何でも知ろうとしてきますが、理解しようとしてくれたことはありません。
本人は努力しているつもりかもしれませんが。
情報を得ようとする努力に満足して、その先の理解という段階までは辿り着いていないように見えていました。
づっきーは話す意味を見出せなくなり、次第に口数が減っていきました。
そんなづっきーのことを、母は「秘密主義」と呼んでいました。
何度も何度も「普通に考えて」「なんでわからないの」と言われてきました。
自分なりの「普通」に従って考えているのに、それではダメなんだと思うようになりました。
“普通になりたい” 一心で、普通について考えるようになりました。
皮肉にも、「普通」とかいう不可視な事象は、考えれば考えるほどわからなくなっていくものです。
残念ながら、現在でも、「変わっているね」とお声掛けいただくことがほとんどです。
「普通」ではなくて良かったこともあります。
大学で社会学を学んでいると、むしろ一般的な「普通」の視点しかない学生は、社会学的視点からレポートをまとめるのに中々苦労しているように感じるからです。
社会学は、少し(かなり)ぶっ飛んだ発想の方が面白いと思ってもらえます。
大学で社会学を学び始めて、やっと「普通がわからない自分」を少しだけ好きになれました。
と、話がそれましたが、
自分が口を開けば母を悲しませると思うようになっていったのも、話さなくなった理由のひとつと言えます。
そして、これに関しては申し訳ない気持ちにもなりますが、
もしづっきーに反抗期があったとしたら、それは恐らく4歳くらいから始まっています。
何せ親とのフィーリングが合わないのですから、反抗してしまいますよね。(言い訳ですが。)
小学生の頃にはもう、母に対して「この人がづっきーのことを理解する日は一生来ないんだろうな」と勘づいていました。
姉と母のフィーリングが似ている一方で、づっきーは限りなく父よりの気質だと感じていたからです。
でもづっきーの幼少期の父はとても忙しくて、自分のことを理解できるかもしれない存在は近くにいませんでした。
決して父を責めているわけではありません。
沢山の嫌な思いをしながらも、家族のために働き続けてくれた父には尊敬以上の言葉はありません。
ただ、づっきーはずっと、どこか孤独でした。
唯一の理解者
実家には猫がいます。
幼少期にやってきたのですが、あっという間に大きくなって、現在では16歳頃のおばあちゃん猫です。
その子がいない人生は想像できません。
何度も何度も救われました。
人を信用できなくなっていっても、その子だけはいつも自分の味方でいてくれました。
お互いに言葉は通じないけれど、言葉以上の何かで繋がってきました。
なぜか落ち込んでいることに勘づいて、いつも慰めに来てくれるのです。
「猫の勘」というものなのでしょうか。
づっきーの最愛の家族で、唯一の理解者です。
姉=妹ではない
づっきーは、常に姉基準で育てられてきました。
でも、姉がこうだから妹もきっとこうだろう、なんて思っていたら大間違いです。
ふとした瞬間にこんなことを考えます。
もし、最初に産まれてきたのが姉ではなく、づっきーだったらどうなっていたのだろう。
もっと親の理解を得られていたのだろうか。
考えるだけ無駄なことは百も承知ですが、どうしても考えてしまうのです。
もし、づっきーにもう1人上のきょうだいがいて、自分が3人目の子だったらどうだろう。
0番目の子はもしかしたら自分と似ていたかもしれない。
そして、ふと気がつくのです。
0番目の子がいたら、自分がこの世にいなかった可能性の方が高いなあ、と。
なんて余計な思考をぐるぐると巡らせています。
(暇を持て余しているわけではありません。クセなのです。)
最後に
そんなこんなで、ダラダラと被害者面してしまいましたが、人のせいにばかりするのも良くありません。
づっきー自身にも、改善の余地は百とあったはずだからです。
そもそも自分の人生を棒に振るってまで他人に期待するのもおかしな話です。
そんな初歩的なことにもっと早く気がついていたかった、とまた1人反省会が始まります。
づっきーが同じ場所にとどまっていられないのは、だからこそなのかもしれません。
最初は、家族と物理的な距離を取ればきっと見方も変わってくるだろうと思っていました。
現に、一人暮らしをし始めたことで究極の自由を手にして、家族に対するちょっとした嫌悪感や苦手意識は少しだけ改善しました。
でも、それでもまだ物足りなく感じてしまいます。
やっぱり自分には海外の方が性に合っている、と。
実はずっと言い続けてきていることなのですが、これもまた肯定的な姿勢は取ってもらえなかったことのひとつです。
でも「肯定してくれないから」を言い訳にしているのは自分ですよね。
海外に行く!と決断してから事後報告するくらいが、本当は自分のためなのかもしれないと思い始めています。
人(まして家族)の顔色を伺ってばかりの人生ほど窮屈なものはないですからね。
今回も安定に話が飛躍してしまいましたが、
つまり伝えたかったことは、
- 妹は姉ではないということ
- 自分の人生の責任は自分で負いましょう
という2点でしょうか。
人は1人として、同じ人はいません。
生い立ち、家庭環境、育った環境、ものの見方、信じるもの、得意不得意、性格、興味関心、、、
全てにおいて、同じ人はいません。
このブログは、あくまでづっきーのこれまでの経験や感じ取り方によるものです。
多少の共感ポイントを見つけてくれる方もいるかもしれませんが、自分はどうだろうか、という視点を忘れずに呼んでいただければ非常に光栄です。
それでは、今日も最後までありがとうございました:))

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