こんにちは!づっきーです。
今日は、つぶやきシリーズということで、づっきーの特性のひとつである「HSP」という概念について語っていきます。
この記事では、HSPとは何か、HSPの人にはどんな特徴があるのか、そしてHSPであるづっきーのこれまでの人生について書いていきます。
HSPとは
「HSP」とは、Highly Sensitive Personの略称であり、人よりも繊細なメンタルを持つ人のことを指します。
HSPの中にもいろいろと種類?があるようですが、詳細については割愛(かつあい)します。
HSPの特徴
HSPを持つ人は些細(ささい)なことや変化にとても敏感です。
また、自分の心との慎重な対話が必要なため、疲れやすいです。
- 音に敏感
→車の騒音や赤ちゃんの泣き声など
- 相手の表情や声のトーンの変化一瞬で気づく
→相手がどう感じているか分かるからこそ、共感力が高いのかも?
- 自分が怒られていなくても、他人が怒っているのを見るだけで落ち込む
- どんな予定でも直前になると憂鬱(ゆううつ)
- 人混みが苦手、集団行動もできない
- 自分のペースを乱されるとプチパニックになる
- 新しい環境に慣れるのが遅い
→人と関わるのが苦手なため、人間関係の悩みが尽きない
- 自己肯定感が低いことが多い
→自分なんて…と思ったり、すぐに泣いてしまったり
- 毎晩、1人反省会
づっきーに当てはまる特徴を挙げてみました。
HSPというのが概念でしかない以上、人によってさまざまな特徴があるのではないかなと思います。
人間関係リセット症候群
一般に、人間関係リセット症候群とは、人間関係を定期的に、あるいは衝動的に断ちたくなってしまう人のことを指します。
づっきーも人と長く付き合うことが苦手なので、高校は隣町の私立高校に進学し、大学進学時は上京し、大学2年時にコース変更をし、友人を一掃してきました。
一掃といっても、心を許せる友人数名とは現在でも連絡を取り合っています。
づっきーは新しい環境に強い憧れを抱く気質であり、人間関係を定期的に変えないと耐えられないため、それに伴(ともな)って環境を変えてきたのですが、
実は、新しい環境に飛び込むことは大の苦手です。
常に不安定な崖を登り続けているづっきーは、むしろ安定してひとつの場所に留まっていたいです。
でも、それがなかなかできないんですよね:((
相手の気持ちは察することができるのに、自分が何を考えているのかよくわからないというのもHSPの特徴なのかもしれないですね。
づっきーのHSP人生
それでは、HSPとして生きてきたづっきーの人生年表をざっくり公開します。
幼少期
もちろん、HSPなんて概念にまだ出会っておらず、内向的であったものの友達は順調に作っていました。
まあ、幼稚園、小学生の友達作りは「友達になろう。」の便利な一言があるので、かなり簡単ですよね。
ただ、小学校高学年のとき、仲良くしてくれていた友人の1人が、突然別のキャピキャピグループに入ってしまって、づっきーは取り残された気分になります。
小学生によくありますよね。
そりゃ他のグループも気になるお年頃です。
しかし、小学生づっきーはとても不快な気持ちになってもう1人の仲良い子にそのことを愚痴(ぐち)ってしまいました。
自分の気持ちをコントロールすることができず、他のグループに入った子に対してもかなり態度で嫌々オーラを出してしまっていたのではないかと思います。
そんなことしたらダメだってわかっているのに、どうしても許せなくて距離を置くしか方法が思い浮かばなかったのです。
その子はダンスがとても上手で、小学生ながらにづっきーは、逆にあっちのグループの子達といる方が楽しいんだろうな、なんで今まで自分みたいな陰キャなんかと一緒にいたんだろう、って思ったりもしました。
その子に謝れなかったことを今でも悔やんでいます。
「ごめんなさい」の一言と自分の正直な気持ちを伝えれば仲直りできたかもしれないのに、
一度だけあった謝るチャンスの時、づっきーはまだその子に対して怒っていてできませんでした。
そのまま中学校に進学し、結局微妙な関係性のまま今に至ります。
あの子がどう思っていたのか、現在はどう思っているのか、いつか連絡を取って聞いてみたいなって思っています。
少し話がずれましたが…
小学校高学年のとき、この出来事によってづっきーのペースと安定した学校生活が乱され、人間関係の限界を感じたのを覚えています。
中学校
づっきーは運動部に入ったのですが、そこで人間関係でかなり病みます。
キラキラしている子たちばかりだったので、眼鏡真面目キャラのづっきーには最初からついていけない確定していたのですが。
キラキラ部員たちは元々仲が良くて、よく一緒に出かけていました。
一方づっきーは誘われるわけもなく、悪口を言われていたのもほぼ確信しています。
一度、みんなで写真を撮ったときにキラキラ部員の1人が私の顔を見てボソッと
「意外と顔デカく写ってない」と言いました。
本当に彼女にとっては無意識に発せられた感想だったのだと思います。
もちろん勘づいてはいたのでそこまでショックを受けることはなかったですが、やっぱりそう思われてたんだって改めて現実を突きつけられた気がしました。
どうしてもこの子達とは合わないと気づいてから本当に地獄のような日々で、
部活で溜まったイライラと悲しみとなんとも言えない苦しさに耐えられず、母に当たってしまっていたように思います。
あの頃のづっきーは本当に荒れていました。
どれだけ苦しんだか、何回逃げようとしたか、何千回もう楽になりたいと思ったか、
何よりどれだけ母を悲しませたか。
考えても考えても答えが見つかりません。
そんな荒れ果てたづっきーを許してくれている母には感謝しかないですね。
づっきーのHSPはこの時期に急速に現れたように思います。
高校
高校で「検索する」という習慣が身につき、初めてHSPという概念に出会います。
実にいろんなサイトの記事を読みました。
そして、Instagramで発信している方のいろんな投稿を見ました。
自分がこの概念に当てはまっているのか確認するたびに、ほぼ全てが当てはまっていて、自分はHSPなのだと確信しました。
これまで理由がわからなかったため、思春期としか扱われなかった問題を、新たな概念に当てはまる自分を見つけた時は本当に嬉しかったし、救われた気分になりました。
HSPと付き合う
現在でもHSP要素は度々姿を現してきます。
ある時、バイト先の方にこう言われました。
「HSPとかそういう名前に逃げているだけじゃないか」って。
確かにそうかもしれないし、その方の考えを否定する気は全くありません。
しかし、今までの人生で何にも属することができず、何にも馴染むことができなかったづっきーにとって、何かしらの肩書きがあるというだけで気分が楽になるのです。
HSPは、こういう気質の人もいるという、ただの概念にすぎません。
だからこそ、他者からの同情もいらないし、HSPという概念が自分なりの逃げ道になっているのなら、それで良いのではないでしょうか。
人は1人として同じ人はいません。
HSPに関わらず、私たちは他者のことを100%理解することなんて不可能です。
たとえ理解されなくても、自分だけが自分を認めてあげられていればそれ以上のことはないのだと、づっきーは思います。
このブログを読んで、
自分はHSPかもしれないと悩んでいる方が少しでもそのままの自分でいいんだって思えてくれたら、
そして、HSPでない人も、こういう人もいるんだな、と他者理解を深めるきっかけにしてくれたら、
嬉しいです。
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