こんにちは!づっきーです。
今回は、つぶやきシリーズということで、「本気」について語っていきたいと思います。
それでは、今日も最後までお付き合いください;)
本気の基準
単刀直入に言いますが、
づっきーは、何にでも本気である必要はないと思っています。
というのも…
本気が見えない概念である以上、そもそも本気の定義や度合いというのは人それぞれというのがあります。
それはなぜかと言うと、
いつも言っている通り、私たちは1人として同じ人ではないから、です。
それぞれ異なるタイミングで異なる親の間にこの世に誕生し、異なる場所、異なる空気、異なる環境、そして周りの人を異なる角度から見て育つわけであって、
同じ人として産まれるわけがなく、同じ人として育つわけもないからです。
つまり、
たとえ誰かから見るあなたが本気でなかったとしても、それがあなたの本気かもしれない
そう考えると、
誰基準の本気で他者の本気度を見るのか、誰目線でどう他者を評価するのか、によって
本気か本気でないかの事実なんて、変幻自在(へんげんじざい)ですよね。
ある人物についての真実を見極めるためには、いろんな角度からその人物を見てみることが大事なのではないかと、づっきーは思います。
就職活動やインターンシップを経験されている方は、なんとなく想像できるかもしれないですが、
多くの企業は「本気な人だけ募集!!」「本気で取り組める人積極採用中!!」といった文言(もんごん)を掲げているかと思います。
でも、その企業が考える本気の基準ってなに?って思いませんか。
企業のトップが考える本気なのか、社員たちみんなで考えたものなのか。
どっちにしろ、その企業基準の本気で見られるということは、ひとりひとりの基準はとりあえず考慮されないということです。
(ある程度の基準を作って、ある程度似たような本気の出し方をする人を採用しておかないと、企業はまとまらなくなるし、業務も円滑に進まなくなるので多少は仕方ないのですが。)
もちろん、本気な人を作るってとても素敵な目標であり、取り組みであると思います。
しかし、その姿勢がづっきーにとってはすごく不安になる要素なのです。
づっきーはこれまでの人生、何かに本気で取り組んでいても、時間に間に合わせようと全力で早歩きしていても、周囲の人からするとゆっくりしているように見えていたようです。
何が言いたいかというと、頑張っていることをアピールするのが得意な人も、そうでない人もいるということです。
アピールが得意な人は、人生得しているなあ、と羨ましい限りです。。
しかし、その一方で、アピールが苦手だけど自分なりに頑張っている人もたくさんいます。
そんな人たちの存在も認めてあげてほしいのです。
少し話がそれましたが、ある有名な人の言葉から考えてみます。
その人は、「人生を本気で生きている人が好きになる人のタイプです。」と言っていました。
でも、「せっかく授けられた人生なのだから、本気で生きて」と言われると、づっきーにとってはとても重圧に感じてしまいます。
それは、づっきーの本気レベルがそんなに高くないから。
づっきーにとって、一般的な基準で、本気で何かに取り組む、本気で何かと向き合う、本気で生きることはとても難しいです。
だからこそ、づっきーにはづっきーなりの基準があります。
そして、その基準に沿って生きています。
全力すぎず、でも決してテキトーに生きているわけでもない
自分が安心して生きていけるゾーン、心地よいと感じられる基準を自ら作って、それに従って生きられれば充分だと思います。
それでづっきーの人生がすごく充実していて、楽しいものかと問われると、全くそうではありません。
性格やこれまでの経験上、楽しいことの記憶はほとんどなく、辛くて苦しかった記憶ばかりです。
それでも、少なくとも自分を最も理解しているのは自分なわけで、最後に自分を救うのは自分だからこそ、ここまで生き抜いてこれたと思っています。
自分の限界を知っているのは、きっと自分しかいないですから。
もし、誰かがあなたの限界はもっと先だ、限界突破しろ、などと言ってくるようであれば、その人の言うことは無視して良いです。
というか、その言葉によって自分自身が崩壊していくのを感じるのであれば、その人の言葉に耳を傾けるべきではありません。
この世にあなたはあなたしか存在しないわけであって、あなたのことを0から100まで熟知している人なんているわけがないから。
他者理解を得ようとする前に、自己理解を深めてみてはいかがでしょうか。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました:))
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