【つぶやき】視力、視界、視野 第二弾「視界、視野編」

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こんにちは!づっきーです。

今日は、前回に引き続き、「見えている世界」について書いていきます。

第二弾は「視界、視野編」です。

それでは、今日も最後までお付き合いください;)

視界

9歳の時に眼鏡をかけ始めてから、づっきーは「本物の大きさ」を知らなくなりました。

眼鏡やコンタクトによって視力を矯正しても、レンズを通した世界しか視ることができない

つまり、生まれ持った眼の機能で視ることは不可能になりました。

文明の発達は、私たちの生活を確実に豊かにします。

冷蔵庫や洗濯機、スマートフォンといった家電から自動車や建築様式まで、実に様々なものが発明され、発展してきました。

しかし、文明に頼ることにはもちろん落ち度もあります。

人は何かに頼るとどんどん依存していくものです。

眼鏡をかけ始めると、不思議なことに視力の低下が急激に促進されます。

づっきーが眼鏡なしでもかろうじて視えていたのは、結局10歳頃まででした。

裸眼

づっきーが唯一、裸眼(らがん)になる時間があります。

就寝前です。

よく寝る前に、これって本当はどんな大きさなんだろう?って考えます。

このスマホはどんな大きさなんだろう

他の人から見て、自分の手はどのくらい大きいんだろう

この部屋は、裸眼だったらどのくらい広く感じるんだろう

眼を細めたりしてなんとかピントを合わせようと試(こころ)みるのですが、はっきりとは何も視えたことがありません。

づっきーは眼科医でもなんでもないので、レンズを通した大きさと裸眼での大きさに見え方の違いがあるのかも、本当はよくわかっていません。

しかし、眼鏡をかけたり外したりする瞬間、眼と眼鏡の距離が変わる時、物の大きさの見え方って変わりますよね。

なのでづっきーは「本当の大きさ」を知らないと表現しています。

だって、眼鏡までのどの距離が裸眼と同じ大きさをうつしているのかわからないから。

こんな不思議な感覚に出会えたのは、視力が低下したおかげと言えるかもしれません。

しかし、づっきーみたいに後戻りできないほど悪くなると、「ホンモノとは何か」がわからなくなってしまいます。

づっきーには、本当の大きさで見たい!という願望はありません。

でも、どうしても気になってしまうのです。

これはどんな大きさなんだろうって。

人はないものねだりな生き物なので仕方がないですね:((

づっきーは、本当の大きさを視ることは一生できません。

だからこそ、自分がづっきーと同じで良いのか、本当の大きさで世界を見ていたいのか、ちゃんと吟味して欲しいのです。

多少の視力の低下であれば、努力でなんとかなるものです。

手遅れになる前に一度、自分の声を聞いてみてください。

視野

上記ではものすごく悲観的なことを書いてしまいましたが…

「視野」は全くの別物です。

づっきー辞典によると「視野」とは、心の眼で見た世界のことです。

高校1年生の時の学年聖句が、

見えるものではなく、見えないものに目をそそぐ

でした。

づっきーはこの聖句が好きで、常に心に留めるようにしています。

恥ずかしながらづっきーもですが、人はつい自分の目で見えているものだけが真実、正解だと考えてしまいます。

しかし、本当にそうでしょうか。

例えば、大型犬が小さい子の服を噛んで引っ張っていたとします。

あなたは犬が小さい子を襲っていると思うかもしれません。

でも本当は、小さい子が車に轢かれそうになっていたのを犬が助けようとしていたのなら?

私たちが見ている世界はごく一部に過ぎません。

それなのに、見えている世界に対する信頼度はあまりに高いものです。

多くの冤罪や誤解、差別がなくなることがない、というか、なくなるわけがないのです。

だって、自分が見た事実だけを信じて、真実を知ろうとしないから。

ある国民的アニメキャラも言っていますが、真実はいつも一つです。

ですが、事実は無数に作れます。

その無数にある事実を繋ぎ合わせて一つの真実を導き出そうとしている典型が、

検察官や弁護士、医療従事者と言えるかもしれないですね。

実際に見た事実や世界を鵜呑(うの)みにするのではなくて、一度立ち止まって事実を疑う姿勢が大切だとづっきーは考えます。

これは、いついかなる状況の時にも応用されなければなりません。

もし、この世に生きるすべての人が本当の平和を作りたいと願うのであれば。

まとめ

最近の授業ではよく、視野を広げることが重視されます。

自由な知的探求を推進するリベラルアーツ教育であったり、自分の意見表明に加えて他者の考えにも耳を傾ける習慣を付けるアクティブラーニングなど、いろんな形で子供たちの視野を広げる教育が実施されています。

それはつまり、それだけ世界が複雑化してきているということの現(あらわ)れなのではないでしょうか。

AIの発達によって人間の存在意義が危ぶまれています。

でも考えてみてください。

AIも結局は人間が発明したものです。

つまり、人間には新しく何かを生み出す発想力柔軟性があります。

これからどうなるかはわかりませんが、AIやロボットは人間が指示したことしかできません。

新しい何か、斬新な何か、を生み出すためにはより広い視野が必要不可欠です。

づっきーは、眼は眼でも、心の眼で見る「視野」を重視しています。

視野が1番平等ですしね!!

今回もだらだらと語ってしまいましたが、一度自分の視野はどれだけのものか、見えている世界だけが真実なのか、改めて考えるきっかけになれば嬉しいです:))

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