こんにちは!づっきーです。
4月の初めからメンタルクリニックに通い始め、服薬とカウンセリングによって、
少しずつですが、回復の兆しが見えてきています。
信用できる先生に出会えて本当によかったと、心の底から実感しています。
もちろん、精神的なものなので完全回復することはありません。
記憶を全てなくしたら可能性は0ではなくなるかもしれないですが。
先日、少しだけ実家に帰省していました。
その際、父親に「学歴が独り歩きしている」と言われました。
恐らく直接的に意味しているものではありませんが、あまりにショックを受けたので、
その言葉に対するづっきーの思いや考えを少し書き留めていこうと思います。
学歴の独り歩き
父の一言を聞いた時は、本当に悔しくて、恥ずかしくもありました。
納得はしていないけれど、本当にその通りだと思いました。
学歴のために高校や大学に入学したわけではないからこそ、とても悔しかったです。
純粋に知識を吸収していくことが好きで、自分の世界が拡がりそうな選択をしてきただけなのに、と。
でも、学歴の重みに耐えられないし、自分が学歴に似つかわしいと堂々と宣言するなどもってのほかです。
勉強が好きなせいで、気が付いたら欲しくもない学歴を背負うことになってしまっていました。
言ってしまえば、づっきーにとっては、内申点を取ることもGPAを取ることも、簡単なことです。
学校内にいるときは、決してづっきーの学歴は独り歩きしているとは思いません。
しかし、学校から一歩外に出ると、学歴は独り歩きし出すのです。
学校で学び続けるためには、学校の外側の社会にうまく馴染まなければいけません。
づっきーは、その外側の社会と付き合うことが、どうしようもなく下手くそです。
社会が求める人物像
しばし社会は、「誰もが生きやすい社会に!」と意気込みだけは立派に掲げてきました。
しかし、社会が求めているのは結局、社会に適応できる人です。
大多数のそのような人々に加えて、持病や障がいなど何かしらの理由によって
自らの力で社会に適応することに困難を抱える人々には、社会が支援してくれます。
では、その2択の中に全員が属しているでしょうか。
心理検査
づっきーはとあるメンタルクリニックで、発達障害に関するテストを受けました。
結果は、総合得点が1点足りず、確認されませんでした。
しかし内容を細かく見ていくと、5項目中3項目で基準値を超える結果が検出されていました。
それも、「社会的スキル」「細部への注意力」「コミュニケーションスキル」の3項目。
今の時代、この3つが満たせないことはかなり致命的なのは明らかです。
それでも総合得点的に確認されなかったづっきーは、ただ不器用に社会を生きる人、に過ぎません。
いわゆる社会不適合者とでも表現されうるでしょうか。
づっきーはこの診断結果を見たとき、絶望感に満たされました。
なんだか、づっきーって感じの結果だなあ、と。
つくづく損だらけの人生です。
これまで小中高と段階が上がる毎に、学校という社会に馴染むのに非常に苦労してきました。
自分は社会に向いていないんだ、と幾度となく実感させられてきました。
それでも精神科に通う許可が降りることはなく、
自分はただ不器用なだけで、できないことはないのだから自分の力でなんとかしなきゃ、
と思ってきました。
しかし、現実はそう甘くはありません。
自分の力では何もうまくいくことはなく、結局今の状況に至ります。
あまり勉強したらあほになる
これは父がよく言っていたフレーズです。
一般的な家庭では勉強するように躾けられると思うので、一風変わった教育方針かもしれません。
多くの子どもはこんなこと言われたら、すぐにでも宿題を放棄して遊びに出かけることでしょう。
しかし、づっきーにとっては酷な言葉でした。
ああ、この人は何も知らないんだな、そう思いました。
づっきーが好きで勉強していることも、勉強しかないと思って勉強していることも、自分の行為を真っ向から否定されている気分でした。
第三者って気楽でいいよな、なんて皮肉れたことも考えました。
それからづっきーの中の父の立ち位置は、同居人のおじさんになりました。
特に何を期待されることもなかったづっきーは、その反動からか良い成績を取って認めてもらおう
とたくさん勉強することを決めました。
大学生という奇跡
また話が逸れてきたので戻します。
づっきーが大学生をやっていることは奇跡のようなことです。
(休学を重ねてあとがなくなってきていますが。)
正直、中学校も高校も卒業できないと思っていました。
先述した通り、成績や内申点を取得することは容易なのですが、なんせ学校に通うこと自体が苦痛で仕方がなかったのです。
中学時代はづっきーの人生が一気に転落したターニングポイント0.5なので、毎日のように学校に行けない理由を探していました。
しかし週7日の部活のおかげで(現在ではあり得ませんが)、休む暇を与えられることもなく、皆勤賞をとって卒業しました。
高校は、小中学校とは比べものにならないほど楽しかったはずです。
高校1年生の時、コロナウイルスによってリモート授業がメインとなりました。
人は一度、始めたり辞めたりすると戻れなくなるものです。
通学という日課がなくなるともう通学する気にはならないし、通院と服薬が日常になるとそれらなしでは不安で生きた心地がしなくなります。
高校2年生になり、対面授業が再開されましたが、学校に行くのが嫌になりました。
「休んではならない」という中学までの思い込みからはあり得なかったことが徐々に当たり前になっていきました。
高校3年生では、受けたい時限だけ登校するようになりました。
朝はいつも通りの時間に家を出て、駅などでしばらく時間を潰し、午後出勤する。
それが日常となっていきました。
幸いにもかなりゆるめの私立学校だったため、最終的に評定平均4.9で卒業したかと思います。
そして大学生となった現在も、2年間休学しています。
この現象は、熱しやすく飽きやすい気質からくるものと考えられます。
どの段階でも、1年生までは調子がいいのです。
今回は通い続けられそうだ、と確信しても、2年生にあがる頃にはその確信は希望となります。
だから、独り歩きしてしまうほどの学歴を背負っていること自体が、づっきーにとっては奇跡です。
大学生をやっていることが奇跡です。
高校生の頃、まさか自分が大学に進学するなんて思いもしませんでした。
なぜか学びたいという気持ちがいつも勝って進学してしまうんですよね。
大学と「学び」
大学はすごく温かくて好きです。
しかし通うことにどうしても苦痛を感じている自分がいるのも事実です。
ダラダラしているづっきーを見かねて、父は学歴が独り歩きしていると教えてくれたのだと思います。
でも、大学を辞めることが怖いです。
づっきーから「学び」を取ると、何が残るのでしょうか。
せめて卒業すること自信の一助になると思っていましたが、卒業すると学歴がついてきてしまうようです。
その負担に耐えられるだけの強さがあるのか、その自信と確信がありません。
流れに身を任せる
祖父は中卒ですが、現在は役職まで登りつめています。
自分専用の部屋があるそうです。
そんな祖父の「なるようにしかならない」という言葉が印象的でした。
自分で変えようとしても何も変わらない、だから流れに身を任せることも大事なのだと。
そして彼はいつもこう言います。
「自分の人生に悔いなし」
づっきーが大学や仕事の進退だけでなく、人生への戸惑いが今までになく膨らんでいることに気が付いているのでしょう。
何かを育てる経験はとても良い、と来年は農業を手伝うように言われています。
おかげで復学がまた一段と夢に近づいてしまっていますが。
父に言われた「学歴の独り歩き」という一言はその通りだと思います。
しかし、どこか腑に落ちない、納得していない自分がいます。
づっきーが学歴のためにこの大学を選んだわけではないことは、紛れもない事実だからです。
一方で、学歴云々ではなく、自分の道を突き進んできた祖父の言葉は、曖昧で鮮明でした。
これまでの人生、期待されない物足りなさから親に反発するように生きてきました。
勉強はしたい、でも学校には通えない、大学進学のために上京する、でも結局休学を重ねる。
流れに身を任せるどころか、逆流するように生きてきたように思います。
当たり前ですが、その生き方が自分自身を苦しめてきました。
でも半分仕方がなかったのです。
社会に馴染むことがあまりに不得意だったから。
だからこそ、一度流れに身を任せて生きてみたい、と思いました。
が、ここからが問題です。
どうやったら流れに身を任せることができるのか。
常に緊張状態で生きてきたづっきーは、ここに来て最難関ミッションに直面しているようです。
最後に
今回は、父の放った「学歴の独り歩き」という一言に対する、率直な思いを書き留めてみました。
学歴社会である日本で大学生をしている以上、その言葉は正しいのかもしれません。
いくら勉強ができても、どんなに偏差値の高い大学を卒業しても、
社会で働き、社会に適応する力がなければ、社会に見放されるのです。
そして、なぜか社会は、学歴偏差値が高いほど、社会性も高いと勘違いしているのです。
社会学を学んでいる身がこんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、
づっきーはいま、社会に懐疑的です。
なぜ社会というものが存在するのか、その意義性について理解できるようになるまでは、
この学問の探求を再開する資格はないように思えます。
初心忘るべからず。本当にその通りです。
父の言葉には相当ショックを受けましたが、冷静に考えられる時に改めてこの言葉と向き合おうと思います。
そして、あわよくば祖父のように「流れに身を任せる」を実践できたらな、と考えています。
それでは今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました:))
  
  
  
  
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