こんにちは!づっきーです。
今回は、づっきーがこれまでの人生において、繰り返してきた「フリ」について述べていこうと思います。
猫を被る
づっきーは、常に猫を被って生きてきました。
なんでも知っていなければならない、なんでも出来ていなければならない、なんでも、なんでも、、、
そう、思ってきました。
何も知らない自分に気がつくことが、何も出来ない自分がバレることが、怖かったからです。
だから、ずっと「フリ」をし続けていました。
でも、もうそろそろ、その「フリ」にも限界が来たようですね。
歳を重ねていくにつれ、背負う責任や、社会に通用する義務が伴っていくことによって、
づっきーがし続けてきた「フリ」にもボロがで初めてきてしまいました。
「勝ちたいフリ」
づっきーは、基本的に争いごと全般が嫌いです。
争うことで、誰に、何の得があるのか。
戦争など、争うことで、”生きたい”と願う人々が命を落とすこともある。
争うという行為に、一体何の意味があるのでしょうか。
何度かお話ししているように、づっきーは中学生の頃、ソフトテニス部に所属していました。
2年生の時だったでしょうか。
部活の顧問との二者面談の際、「勝ちたいと思っているか」と聞かれました。
づっきーは即座に、「はい、思っています」と嘘をつきました。
”勝ちたい”だなんて、微塵(みじん)も思ったことなんてありません。
その気持ちが、顧問の先生にはバレていたのでしょう。
小学生の頃からテニスを習っていた子も多くいましたが、週7日みんなと同じ練習をしているし、
小学生の頃は、体育の授業で、基本的にみんなのお手本になっていたほど運動神経も良かったし、
それどころか、河川敷で自主練までしていたほどなのに、大会では全く成績が残せていない。
そりゃ、おかしいと思うはずです。
もちろん、づっきーの中にある「テニスが上手くなりたい」という気持ちは本物でした。
しかし、大会に出場して、「優勝したい」とは全く思えませんでした。
当時は、部内での人間関係で、かなりメンタルも崩壊していたので、尚更かもしれませんが。
づっきーには寧(むし)ろ、勝つことが怖い、という感情すらありました。
勉強は好きだし得意だけれど、学校は嫌いなづっきーは、
3年生になる頃には、授業もまともに聞こうとしない生徒になっていたものの、
1年生の時に真面目な生徒という印象が付いていたせいで、
づっきーに何が起こったのか、とより一層、不真面目な生徒として見られるようになりました。
なぜ、それがわかったかって。
づっきーはHSP(一言で言うと、人よりも繊細な人間)です。
3年生のある日、団体戦メンバーの子達がいない練習日、づっきーが部活を仕切ることになりました。
顧問の先生に用があって、職員室に行くと、担任と顧問の先生が話しているのを見かけました。
ああ、づっきーのことについて話しているんだなあ、と察しました。
授業をまともに聞いていないことも、部活に精を出していないことも自覚していましたから。
授業を聞かないどころか、学校にすら行かない生徒が、本来のづっきーですよって教えたかったです。
でも、結局ずっと、「部活も学校も楽しいし、大会で勝ちたい生徒のフリ」をしていました。
スポーツという「争い」ですら好まないづっきーは、真の平和主義者と言えるかもしれませんね。笑
本当は、そんな綺麗な人間ではありませんが。
「知っているフリ」
これは、づっきーがこれまでの人生で、ずっとやってきたことです。
高校に入り、神こそが”全知全能”の存在であることを知るまでは、なんでも知っていなければならない、
と思っていました。
人は時に嘘をつく、づっきーは常に嘘をつく
人は時に、自分を守るため、誰かを守るため、なんとなくその方が面白そうだから、、、
など、実に様々な理由から、嘘をつきます。
生きてきた中で、一度たりとも嘘をついたことのない、なんて綺麗さっぱりな人はいないはずです。
冒頭で述べた通り、づっきーは常に、猫を被って生きてきました。
特に、初対面の人に対しては何重にも。
100人に対して、100通りの人間像をつくってきました。
自分でも、”本来の自分の姿”がわからないほどに。
精神科に通うきっかけとなった、コーヒーショップでの出来事。
づっきーは、金土日の週3日、金曜日は4時間だけのシフトで働いていました。
結局、3ヶ月間で辞めてしまったので、勤務日数も、合計勤務時間も、数えるほどです。
しかし、そのコーヒーショップの社員さん達には、一度教えたことは当たり前のように覚えて、
次からはできるようになっていることを前提とする風潮がありました。
まだ数回しか勤務経験のない店舗でも、もう何回も働いているのだから、という考え方でした。
仕事の覚えが悪いのも自覚していましたし、迷惑をかけていることも察していたので、
1ヶ月も経たないうちに、づっきーは社員さんにわからないことを聞くのが怖くなりました。
そんな中でも唯一、よくシフトが被るバイトのバリスタさんがいて、
づっきーはその方に、わからないことがあるたびに聞いてしまっていました。
その方の貴重な時間を奪っていることを自覚することもなく。
それでも、その方だけは、全ての質問に対して丁寧に教えてくださりました。
しかし、最終的には、普段は配属されない店舗の社員さんに、
づっきーが誰かに質問することで、その人の時間を奪っている
お金もらって働いているのだから、何も覚えないまま仕事しに来ないで
と、そこまで言わせてしまいました。
そして、づっきーはキッチンで倒れ、結局、最後の2日間は出勤できずに終わりました。
バイトのバリスタさんには最後、お礼を言ってから辞めたかったのですが、叶いませんでした。
何度も迷惑をかけてしまったからこそ、それが無念で仕方ありません。
でも、そのコーヒーショップで働いている間、唯一「知っているフリ」をしないで済んだのが、
そのバリスタさんと勤務している時だけでした。
最後に
づっきーは、他人に自分のことを知られることが怖いし、苦手です。
だから、猫を被ります。
そして、相手の話を聞きます。
以前、高校の友人にも、働いていたホテルのレストランのマネージャーにも、
づっきーは ”聞き上手” だと言われました。
その言葉に対しては、素直に「ありがとう」と思っています。
しかし、づっきーが聞き上手になるためには、相手が話し上手でなければなりません。
高校の友人がとても話し上手で、話題をたくさん持っていたからこそ、づっきーは聞き上手になれた。
また、自分のことについて話すことがない、話したくないからこそ、
ホテルのゲストのお話を最大限広げるようにしたり、ゲストが満足するまでお話に耳を傾け続けた。
街を歩くづっきーを一瞬見て、何か悩んでいそう、と思う人は恐らくほぼいないと思います。
しかし他人は、づっきーがコートの下に何を抱えているか、までは見抜くことはできません。
づっきーのように、パッと見の外見と、内面に秘めているものが違う人は沢山いると思います。
人生が充実している「フリ」、普通を理解している「フリ」、なんでも知っている「フリ」、、、
そういう「フリ」をしている人ほど、内に秘めているもの、抱えているものは大きい。
でも、その大きな荷物を必死に、見られないように隠そうとしているため、他人には気づかれない。
気づいてほしい、という願望はあるのに、知られたくない、と思ってしまう。
それが、「フリ」をして生きている人の生きづらさの根本なのだと、づっきーは思います。
今回も、最後まあでお読みいただき、ありがとうございました:))
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